情報の共有化はどこまで人間関係を変えれますか?
堅苦しいテーマだけど、これはいつも思っていること
フェイスブックで今を共有しても、書かれていることは、日常の些細な出来事
今、何を食べている
今、どこそこにいった
など、
書いている私も、そんなことばかりをあげている
つまらない内容しか、あげられないので、自分でも情けない。
というのも、会社の上司がスマートフォンでチャット形式で、同級生40名近くを共有しているそうなのだが、知らない間に、500ぐらいの膨大な情報量になるそうだ。
いちいち、チェックするのも面倒だし、書かてれいる内容もしょ〜もないことばかりだそうだ。
すべて否定はしないけれど、Google+をメインで使っていて、同じことを感じてしまう。
目的が同じなら、いいけれど、隙間時間、暇つぶしのための、共有となっているから、自分の能力のなさを痛感する。
かといって、日記のように何かを残したいのも事実だけれど。
日常社会生活では、家庭・家族もいるし、普通の社会人生活をおくりその部分では、普通とは思うが、進歩よりも惰性で生きていることを否定できない。
それはつまらないことかもしれない。
※追記
このブログは、Chromebookでほとんど書いています。
Windowsだと、ネットワーク・サーバーに保存した、過去の資料 写真、音楽とかファイルがあるので、かなり扱える情報も変わってきます。
また、Microsoft Officeのファイルがほとんどだから、互換性の点でも、使い分け、住み分けが知らず知らずの間に出来上がってしまいました。
Googleのサービスに切り替えるのは、どうしてもネットワーク中心(クラウド)となりますので、コントロールできないなど、セキュリティに懸念があり労力を考えると、面倒くさい、利点があまり見いだせないなど理由にあげられます。
そうなってくると、新しい分野のためにGoogleのサービスを割り当てることの方が、効率的だと考えます。
Google+でいいなと思っているのが、キャンプ情報で、知らない器具の紹介が頻繁に更新されるので、当たりかなと思っています。