ニサンザイ古墳
ニサンザイ古墳
西向きの古墳の中では最大の大きさで全国でも8番目に大きい古墳です。現在は一重の濠ですが、二重の濠があったことが調査でわかっています。
前方部が広く、どっしりと安定感のある古墳で、反正陵古墳(田出井山古墳)のほぼ4倍の大きさです。また、建造時期もほぼ同じため、こちらを反正天皇陵と考えている説もあります。
陪塚は3つありましたが聖塚(大阪府立大学構内)だけしか残っていません。
前方部の濠の土堤が中央部で外側にふくらんでいる(写真下部)のは、かつて濠の水を灌漑水に使っていた時の樋口の名残です。
古墳大きさランキング
2 誉田御廟山(伝応神陵) 425 大阪府羽曳野市誉田6丁目
3 履中陵古墳(石津ヶ丘古墳) 360 大阪府堺市西区石津ヶ丘
9 仲津山古墳(伝仲津姫陵) 286 大阪府藤井寺市沢田4丁目
16 岡ミサンザイ古墳(伝仲哀陵) 242 大阪府藤井寺市藤井寺4丁目
19 市野山古墳(伝允恭陵) 230 大阪府藤井寺市国府1丁
20 宝来山古墳(伝垂仁陵) 227 奈良県奈良市佐紀町ヒシアゲ
21 大田茶臼山古墳(伝継体陵) 226 大阪府茨木市太田3丁目
23 ひしあげ古墳(伝盤之媛陵) 219 奈良県奈良市佐紀町ヒシアゲ
25 佐紀石塚山古墳(伝成務陵) 218 奈良県奈良市山陵町御陵前
ニサンザイ古墳は、百舌鳥古墳群の南東端に位置する前方部を西に向けた前方後円墳です。百舌鳥古墳群の中でもっとも新しく作られた古墳といわれており5世紀後半に建造されました。
全長290メートル 後円部約24メートル、前方部幅約226メートル、前方部高約22.5メートルで日本第8位の規模です。
(近隣地域では、3位)
この古墳も、実際 誰が埋葬されているか、わかりません。
宮内庁も「百舌鳥陵墓参考地」として、推測で扱っています。
発掘をさせないためにガードをしているわけですから、真実は闇の中です。
歴史が変ると困るのでしょうか?
しかし、宮内庁が管轄していても、実際は柵をして溜池で囲っているため、警備はされていません。
5世紀前後までに近隣の巨大古墳群が連続してできたという推測なら、労働人口、食糧事情など、どういったインフラが整っていたのかも、疑問です。
仁徳天皇稜で、2000人規模で30年かかるとも、言われています。(実際はそれ以上かかるとの意見もある。)
こういった国家的巨大プロジェクトが、立て続けにできるほど、当時余力があったのか疑問ですね。
測量技術、運搬技術など、どういったものを使っていたのか夢があります。