takabow2011のブログ

思い出深い芸能界のこと、パソコンやITのことを綴っていきます。

大崎下島 御手洗

御手洗まで、歩いていくのも日頃の訓練がいいのか、子供が動いてくれません。 すぐ先には、千砂子波止が写っています。 鴻池の作った住吉神社の太鼓橋も見たかった。 (しかし、運送関連で鴻池の江戸時代の話は聴いていたけれど、これを関係者にみせてあげると喜んだだろうに!) 御手洗港まで歩いてきましたが、バス乗り場を幸運にも発見できましたので、次の到着の時刻を見ると12時5分となっていました。 当然 あまり 遠くにはいけません。 そこで、港近くにある資料館と、竹原屋にいってきました。 三条実美、三条西季知、東久世通とみ、壬生基修、四条隆歌、坂本竜馬シーボルト、などなど、歴史の裏舞台になった由緒ある建物がある場所です。 瀬戸内海の歴史を正面からとりあげられたケースはあまりありませんが、隣の豊島では、家船(えぶね)の町があり、これは平家の落人と一部 関連があるそうです。 海の上の船が住居とは、想像できません。 が、これも悲しい歴史の一こまです。 できることなら、もっと御手洗にいてゆっくりしたかった。 レトロな町です。 これは、観光でも十分やっていけると思います。 町自体は、規模が小さいので自転車で十分みて回れます。 資料館に、 明治時代の海岸線のパノラマ画像がありましたので、撮影してきました。 海岸線の建物は、遊郭です。 親父の話によると、昭和30年代までは、現存していたとのことです。 このあたりの地理は、島々が入り組んでいますが、隣の島が愛媛県であったりします。 政治的利害関係が、藩同士の綱引きとなったのでしょう。 地元のひとじゃないと地理が把握できないでしょう。 おちょろの無縁仏があり、豊町が、そういった仏を集めて、坂の上に墓所を設けています。 この内容は中国新聞が一度 とりあげてくれたのですが、ネットではほとんど検索できません。 四国や九州から、売られてきた若い娘が多かったそうです。 いわば人身売買が公然と行なわれていたことになります。 これは、木江にも言えることなのですが、無縁仏が道路拡張などで、海岸線を工事していると、沢山の人骨が出土してくる話をよく聞きます。 平野部が少ない島では、傾斜地に墓を作ることが多いのです。 遊郭の裏山とか、そういった近距離に無縁仏が集合しています。 幽霊の話もそういった場所では噂で聞きます。 港町は、風情がありますが、裏の歴史もあり2面性があります。 悲しいかなおちょろの話は、あまりのこっていません。 また、おちょろを経営していた関係者も、あまりいい話はありません。 しかし、豊町に歴史の見える丘公園に「おいらん公園」ができたことは評価すべきことです。 過去と正面に向かって取り組むことの意思表示です。 もし、おやじが、大長出身でなければ、関わる事のなかった歴史です。