takabow2011のブログ

思い出深い芸能界のこと、パソコンやITのことを綴っていきます。

究極のコミュニケーションツールとは何なんだろうか?

究極のコミュニケーションツールとは何なんだろうか?

インターネットを初めて20年以上が経過したが、(最初の頃は、筑波の衛星向けアンテナを通して、東京の本社のサーバーにデーターをアクセスして見ていた)携帯、パソコン、スマホなどのモバイル機器が氾濫し、今では一人に一台ずつという時代になった。

 

最初は、学習のため、データー管理のためのネットワーク利用の比重が大きかったが、今では、完璧なコミュニケーションツールが主になってきた。

 

しかし、これだけ、情報端末が増加しても、一向に相互理解はうまくいっていない。

親密になるよりも疎遠になるほうが目についてしまう。

 

それは、本人のわがままであったり、面倒くさいなどの私的理由であったり、ストレスを避けたいなどの理由もあるだろう。

逆に、人間は、五感の中の

 見る、(実際に現場で見る)

 触る、(抱く、感触を確かめる)

比重が高くなっているのかもしれない。

私は、書いている本人だから、この2つの条件は絶対外すことはできない。

 

つまり、「言葉ではなんとでも言える」、「文字で書いても信用できない」

嘘が前提での世界観の中で、最後は自分の目で確かめなければ、納得できない。

そういったことを考えると、いくら情報機器に依存しても、根源的な不満の解決にはならないことがわかってきた。

 

異性なら、実際に相手の目を見て反応を確かめる。

触ることにより、体温と人間としても、お互いの存在を確かめる。

単純だけど、こういったプロセスはすごく大切な行為だと思う。

人間は相互依存の生き物だ。

お互いが、良い部分を伸ばしあえたらどんなに素晴らしい時間を過ごせるだろうか。

感情の高まりとともに、女性として、男性として、お互いの役割と尊重

多少の難局にも対応できるタフさを身につけることができる。

 

恨むことより、感謝することのほうが良いに決まっている。

人生の後半になっても、恨みを持ち続け、有限な時を無駄な時間・労力に費やすことほど、虚しいことはない。

そういった考えの虜になれば、精神の牢獄の中から抜け出せなくなり、真実を見失い、自分を失うことにつながってしまう。

 

欲望の終着駅が、物欲だとさみしいよ。

経済は、投資と回収のサイクル

決して、オールハッピーではすまされない世界観・構造だ。

でも、それは幸福の最終点ではない。